極東精機物語

特集「極東精機物語」story of kyokuto seiki

自分たちにしかできないものをつくる!ものづくりの情熱を永遠に。

永きにわたる極東精機の加工技術への挑戦の歴史を、代表取締役と専務がそのマインドを語りました。

株式会社 極東精機 代表取締役 小中 勇

大阪に根を下ろして70年、技術研鑽を継続

当社の創業は1948年(昭和23年)、大阪市の城東区で先代が始めました。私がまだ2~3歳のころに、父親が工場で一生懸命に働いていた記憶が残っています。そこから東大阪市の高井田に移転して操業していたんです。ところが先代は早くも67歳で亡くなってしまい、私がすぐに後を継ぎました。36歳のときでした。すでに父の会社に就職してずっと仕事をしていましたし、そのときは専務になっていましたので仕事や技術的なことへの不安はありませんでした。ただその後は経営的に厳しい時代もありました。

特にバブル崩壊はダメージを受けましたね。そこから色々なことがあって、2年後の1993年(平成5年)7月に大東市に移転して工場を建てました。2007年(平成19年)8月に有限会社から株式会社へ組織変更して、社名も変えました。当時の社員は7~8名でしたね。

現在は取引先からの依頼を受け、図面に応じた部品を加工するのがメインの業務です。当社の旋盤機械の刃物の多くは手研ぎによるものです。自社で刃物を研いで製品に合わせて加工をしている工場はほとんどありませんので、機械屋さんが刃物を見るとたいてい驚かれますね。刃物を作るには高度な技術が必要ですし、効率や採算を考えると経営的には非常に難しい。だから、これからも自社製作の刃物を作る会社はますます減っていくと思います。

昨年は大きな機械を7台導入したので現在は全部で27台ほどの機械があります。後は以前からある小さな機械も必要に応じて使っています。機械でチャッキングして加工するのは、他ではあまり行っていません。たとえば極薄の製品を普通の機械で加工するのは難しく、繊細な力加減が必要なんです。自分と機械との微妙な感覚をしっかり身につけた職人技が必要です。経験がものをいう世界です。

ものづくりはとても楽しいです。切った材料を、図面を見て加工していくのですが、「こんな材料からこんな形にまで作れるんや」という驚き、そしてでき上がったときの満足感は大きいですし、まさにそれがものづくりの醍醐味ですね。工場がたくさんあるのに、極東精機にしかできないというややこしいオーダーが入ることもあります。そのときは、技術者冥利につきます。嬉しい限りです。

理解し合い、助け合い、和気あいあいと

刃物を作る職人を育てるのには非常に時間がかかります。たとえば若い従業員が入社してくるとします。もちろん、最初から刃物を作ることはできません。まずはチャッキングの仕事から始めます。製品をつかんでセットしてスイッチを押し、コンピュータ制御により旋削加工機械を扱えるようになってもらう。技術は、先輩から後輩へと受け継がれています。当社の場合、社内が和気あいあいとしているので、新人も不必要な遠慮や緊張がなく、研修もスムーズなんです。
もちろん、指導は徹底しています。たとえば、刃物の成形を専務が教えていますが、やってみせて覚えてもらう。丁寧に指導します。3年から5年で段取りができて、10年以上で一人前といったところでしょうか。できるようになれば最後ではなくて、いつまでも勉強です。また、困難な仕事にぶつかれば勉強、勉強。どの世界も同じですが、そういうことの全部が自らのスキルとして身についていくんです。

社員たちは徐々に慣れていって、次の段階へとステップアップしていきます。幸いなことに、ここにきてくれている子たちは真面目で、それが当社の何よりの宝です。おしゃべりをしながらするような仕事ではありませんが、機械を回したらそれが仕上がるまでの待ち時間、笑顔で話を交わせる明るい社風だと思います。でき上がれば、付け替えてスイッチを押す。後は自動で機械が削っていくという感じです。

先代から受け継いだ理念で大切にしているのは、和気あいあいと、適材適所です。人には向き不向きな仕事がありますから、その人を見極めることが大切です。そして協力し合って不足するところは補い合って、やっていく。私自身もみんなと同じように現場に入って仕事をしています。

普段の休憩時間には、何となく集まっておしゃべりをしています。年齢も生活背景の違う人も一緒になってね。一番大事なのは「みんなで頑張ってものづくりをしていこうや」という雰囲気です。僕は一人ひとりのことをしっかりと見ていたいと思っているんです。よほどのことがなければ怒ったりはしませんし、話は何でも聞いてあげたいと。大げさにいえば父親のように思ってくれたらありがたいですね。

極東精機が歩む未来、そして可能性

息子である専務は大学卒業後、すぐに入社して今年で15年になります。今は取引会社からの図面をどう製作に落とし込むか、システムのプランを作り、機械の使い方、セッティングの指導をしています。後継者不足がいわれていますが、専務がいなければ僕自身も後はどう身を引いていくのかを考えざるを得なかったと思います。後は、専務がどう事業を広げていくのか、見ているのが楽しみなんです。課題は工場の拡張です。人材もうまく力を発揮してくれているし、機械は導入すればよいことですが、スペース的に今は精一杯のところまできています。昨年も拡張したのですが、今後の取引会社の要求に見合う質なり、量なりをクリアしていくにはまだまだスペースが足りないということです。現在は、メインの取引先が2社。NC旋盤関係の仕事は専務が中心で進めていきます。ちなみにそのうちの一社は、池井戸潤作「下町ロケット」のロケ地にもなったところで、これからも難易度の高い製品を製造することが考えられます。部品の分野で、そのような要求に応えられる体制の整備も急務だと思います。(談)

テクノロジーと職人技の融合で独自性と多様性を追求。

株式会社 極東精機 専務 小中 正光

自分の祖父、父親がやってきた会社ですから後を継ぐことに何の疑問も感じませんでした。むしろ、仕事をする父の姿は憧れでしたし、この会社で働くというのは子どものころからの夢だったんです。祖父は僕が小学校の低学年のときに亡くなったので、仕事をしている姿を見たことはないのですが、とても可愛がってもらったことを今でも覚えています。会社にも一緒に連れて行ってもらっていたようです。DNAですかね、この仕事をすることに違和感は全くありませんでした。

仕事自体は全く経験がありませんでしたが、入社して少し余裕がでてくると、改善点や問題点が次第に見えてきました。少しずつですが業務面での提案をしながら、手応えを感じる日々です。

入社して15年、会社の規模も徐々に大きくなり、機械の台数も増えて生産効率も上がってきてはいますが、経営の芯の部分は創業以来変わってはいないと思いますし、それが大切なことだと思っています。古いやり方かもしれませんが、手研ぎの刃物を大事にして、どこにも作れないものを製作する。このコンセプトがブレたら極東精機は存在しないのではないかと思います。新しい人材や機械や技術が入って、たとえ新鮮な風が吹いても「手研ぎの刃物」は永遠に残していかなければなりません。その技術を伝承するのはこれからの課題であり、僕の使命です。最終的には従業員全員が、刃物を研げるようになって欲しいですね。

当社の業務はNC旋盤と汎用旋盤がメインです。今、需要的には大きな製品に対応するマシニング加工が多いのですが、極東精機では、もっと小径で薄いものを加工する。市販の刃物ではできないものを、刃物から加工して製作するというのが売りです。たとえば、半導体のチップを作るための装置のパーツ、上部パーツと呼ばれる部品を作っています。刃物は自社で作りますが、一部の機械もそれに合わせて作ってもらっています。これからも当社の誇りとする高度で繊細な技術を駆使して、日本のテクノロジーの発展に貢献することができたらと、考えています。(談)